雑学道・師範代のブログ

師範代が思う、考える、理解する事を色々と書いています。

標準はある 標準外もある 標準がなければ作る? いや作られる??? 

私の場合、特にコンピュータのソフトウェアを利用する事が多かったので、社内の立場に関係無く(場合によっては取締役などからも)質問を受ける事が多いです。

 

回答・問題解決が出来るかどうかは別として、話を聞いている際にかなり高い確率で返事に困ってしまうのが「これが標準(普通・みんなやってる事・あたりまえ)でしょ?」という内容です。

 

私はいまだこの意見に対する「返答」の正解がわかりません・・・

そもそも正解が無いのかもしれませんが。

 

確かに「結果として」事実上の標準になっている例(オフィスソフトならワード・エクセル・パワーポイントなど)はあります。なので標準が存在する事を否定しませんが、標準がある=標準外(偏差・例外・特殊・特別など)がある現実を理解してほしいのです。

(もちろんソフトウェアに限った事ではありません)

 

上記の発言をする方の一部は、周囲の人だけの集団で同じ内容を共有し、結果周囲だけの「標準」が作られてしまい、同じく別の「標準」を持っている方との話が合わなくなってしまう事があったそうです。

(実際に聞いた話で合わない原因だったのは「筆まめ」と「筆ぐるめ」でした)

 

個人的には話が合わなくなる事を避けたいので、自身で標準を作らないように努力しているのですが、この場合は結果として「効率が悪くなる」というデメリットが大きくなってしまいます。

元々NECのPC9801から本格的にパソコンを使い始めたので、日本語の漢字変換は長い間「ATOK」を使っていました。変換の「癖」やキー操作の効率などは、今でもATOKの方が使いやすいのですが、サポートの作業をするようになってからは、マイクロソフトのWindows付属IMEを利用しています。自宅で使うPCではキー操作を「ATOK」仕様にして利用していますが、仕事や客先ではIME仕様で利用して、「ATOKなら~」と違和感を感じつつ、作業効率が落ちている事が多いのです。

他のPCで作業する場合の事を考えると、Windows付属のIMEを使って操作感を覚えておかないと、質問者やお客様の前で失敗?を見せてしまう事になってしまうので、効率が落ちてしまう事を承知の上で利用しています。

 

何でも出来なければならない・自身の標準を作る事が出来ない。

・・・これも一種の「職業病」なのでしょうか???

それともただの器用貧乏???

 

今自分で考えている、理解している「標準」が「標準ではない」と思えた時、ほんの少し「考え方」「視点」を変えてみる事で、新しい何かが発見出来るかもしれません。